★オンラインレッスン【グルジェフ入門】=再放送リクエスト受付!


ぼくの『トート版タロットレッスン』を主催してくれている心理占星術研究会より、グルジェフをテーマにオンラインレッスンをやってほしいとのオファーをいただき、レクチャーをさせていただきました

パソコンがあれば、どこからでも受講できます。
本放送は終了しましたが、希望者が何人かいれば再放送をしていただけるとのことです。
よかったら、リクエストをしてください!

⇒ くわしいご案内は、コチラ をご覧ください。

【期間限定】セント・ジャーメイン~シャスタの遠隔ヒーリング =終了

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5月にアメリカに行ってきます。

直接の目的は、ロサンゼルスで開催される
マックス・クリスチャンセンさんのワークショップ
『エジプシャン・ヨギックメソッド・レベル1』に参加すること。

マックスはクンルンネイゴンのマスターとして有名ですが、
じつはぼく、クンルンネイゴンは習ったもののもうひとつ合わなくて……。

クンルンネイゴンというのは「水のワーク」なのだそうですが、
ぼく自身はずっと「火のワーク」をやってきたから、
というのもあるかもしれません。

というわけで、長らくその系統の修練はあきらめていたのですが、
今回のワークはそれとは別系統のもの。

しかも、エジプトはぼくにとって、もっとも濃密な過去生のひとつ。

 

まぁ、そちらは純粋に生徒として参加をするのですが、
せっかくだからセドナかシャスタにも足を延ばそうかなと思って、
声をかけてみたら、けっこうたくさんの人が
「シャスタ」に同行のご希望をくださいました。

そして、ぼく自身もシャスタに行くのははじめてであるにもかかわらず、
いろいろな計画がトントン拍子に進むのです。

ありがたいことだなと思っていたら、突然思い出しました。
シャスタはセント・ジャーメインと縁のある土地だということを。

セント・ジャーメインは、ぼくのメインのマスターなのです。

「呼ばれている」というほど傲慢なことは言いませんが、
とても強く共振するものを感じています。

そんなこんなでここ2ヶ月ほどは、セント・ジャーメインと
シャスタのエネルギーにアジャストをしようと思っています。

(マックスのエジプシャンについては、逆に先入観なしで臨みたいので、
 ただ自分を調えるというだけの準備にとどめておくつもりです)

というわけで、遠隔でエネルギーのシェアをさせていただくことにします。

⇒ 終了しました。
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【<悟り>や<覚醒>のためのサポート】ご案内

前回の記事では、なぜ私が
 ・<悟り>や<覚醒>のためのサポート
 ・あなたが望む現実を創造するためのサポート
という、一見 正反対にも見えるふたつの分野のサービスを提供しているのか、ということについてお話をしました。
もし、前回の記事をお読みになっていないようであれば、今回の記事とあわせてお読みいただけると幸いです。⇒ 『<行き>と<帰り>』

<悟り>や<覚醒>というのは、言葉で説明することがむずかしい境地ですが、仏教では「八正道(または、八聖道=はっしょうどう)」というプログラムが伝えられています。

要するに悟りに至る8項目なのですが、すごくすごく端折ってご紹介すると、一番はじめに示されているのが「正見(しょうけん)」、そして一番最後に示されているのが「正定(しょうじょう)」です。

正見とは「正しいものの見方」、正定とは「正しい意識の状態」を言います。


正見=「正しいものの見方」とは「一切皆空」──要するにすべては<空(くう)>であるというものの見方をマスターするということです。

<空>は言葉では説明できないとされていますが、最近では欧米を中心として<非二元(ノンデュアリティ)>という観点から、これを説く先生も多いようです。

以下の動画で、このあたりのことについて松田流にお話をしてみました。

●パソコン・スマホで視聴できる動画セミナー
『空・非二元・悟り──<私>はいないとはどういうことか』
 ⇒ ご案内はこちらから

 

また、現代の科学や哲学の知見にもとづいて、純粋に私たちの意識や感覚のしくみを確かめてみるというアプローチから、このテーマを扱ったワークショップも動画にしています。

禅問答のような深淵だけど非論理的な話は抜きにして、ごく普通の人がごく普通に自分自身を振り返ることによって、自然に<空>とか<非二元(ノンデュアリティ)>につながっていく……、そんな試みです。

ご関心をいただけるようであれば一度ご覧になってみてください。

『<私>と<宇宙>のクエスト』(1)神はコンビニの前で不快感を感じるか?
 ⇒ ご案内はこちらから

 

正見=「正しいものの見方」については、とりあえずある程度のところまでは、それを知的に理解することもできます。

そしてそれを知るだけで、人生はとても楽になります。
嫌なこと、不愉快なこと、苦しいこと……、これらすべては「ほんとうのことではない」ということが解るようになるから。

ちなみに、<非二元(ノンデュアリティ)>を説く先生の多くは、それ以上の話はあまりしていないようです。
なぜならすべてが<空>であるなら、「悟っていない‘あなた’はいないし、‘悟る’ということもない」から。

けれども仏教では、この点で多くの<非二元(ノンデュアリティ)>の先生とは異なる立場を取ります。
「正しいものの見方」は正定=「正しい意識の状態」へとつながるべきであり、また「正しい意識の状態」をマスターしなければ、本当の意味で「正しいものの見方」ができるようにはならない、と。

やっぱり頭で<空>や<非二元(ノンデュアリティ)>を理解しているつもりの状態と、じっさいにそのように意識できる状態とは同じではないのです。

 

私自身は、17歳で高野山に入り、18歳のときには頭では<空>を理解していました。けれども、それに対応する意識の状態を経験したのは、それからおよそ30年後のことでした。

逆に、ちょっとしたきっかけで純粋な意識の状態を経験する人もちょくちょくいます。
けれども、その人が<空>を理解するに至らなければ、おそらくその状態は一時的なものに終わるでしょう。

こちらについても、私自身が純粋な意識の状態を何度も経験していながら、はじめはそれが<空>と結びついていなかったために、自分が経験していることの意味や価値が理解できていないまま、いつの間にかまた環境に影響を受けてしまう状態に後戻りをしてしまい、ある程度その状態が定着をするのに、そこからさらに数年を要しました。

<非二元(ノンデュアリティ)>のクラスでは、よく「一瞥体験」といいますが、『ヨーガスートラ』をはじめとするインドの伝統では、一瞥体験と定着をした境地とをはっきりと分けているのです。
正直に言うなら、文献を読むかぎり、私自身もまだまだ道の半ばではありますが……。

正見=「正しいものの見方」と正定=「正しい意識の状態」とが安定的に結びついた状態になったとき、それを<悟り>と呼んでいいのではないか、と私は思っています。

正定=「正しい意識の状態」をマスターするための代表的なトレーニングが瞑想です。

私が思うに、瞑想にはふたつの利点があります。

ひとつは、自己浄化。
もうひとつは、意識の使い方のトレーニング。

このふたつが相まって、「正しい意識の状態」が育まれていきます。

 

特定の考えや感情に捉われているかぎり、「正しいものの見方」や「正しい意識の状態」をマスターすることはむずかしいです。
だから、特定の考えや感情にしがみついている心の働きから自由になる必要があります。
そのための作業が自己浄化です。

自己浄化はその方の個性や生き方と関わることなので、一般論では何とも言えないのですが、先に端折った八正道のまんなかの6つはそのためのメソッドでもあります。

ただし、ひとつ申し上げるなら、「自分」のことについて自分自身でアプローチすることはむずかしいものです。
人は、自分で直接に自分の姿を見ることはできないし、自分で自分のことを持ち上げることもできません。

もしよろしければ、カウンセリングやエネルギーワーク、ヒーリングという形で、個別サポートをさせていただきます。

●個人セッション
 ⇒ ご案内はこちらから 

瞑想のもうひとつの利点=意識の使い方のトレーニングは技術的なものです。

誰でも適切な方法にしたがえば、一定の技術をマスターすることができます。

私のところでは、下記のプログラムにてご指導をしていますので、よかったらトレーニングにおいでください。

<意識のめざめ>プログラム
 ⇒ ご案内はこちらから

ただ黙って瞑想していればそのうち何かが起こる、というよりはもう少し簡単に、そして短時間でマスターできる方法をお教えしています。
コツをつかむだけなら、数時間から数日で体得していただけるはずです。

 

<行き>と<帰り>

<意識デザイン>では、大きく言ってふたつの分野のサービスをご提供しています。

ひとつは、<悟り>や<覚醒>のためのサポート
もうひとつは、あなたが望む現実を創造するためのサポート

 

一見、このふたつは相異なる(場合によると正反対)の志向であるかのように思われるかもしれません。

私は、真言密教の探求から道の歩みを始めた人間です。
真言密教では、「即身成仏」とか「現世利益(りやく)」ということを言います。

「即身成仏」とは、毎日の生活をしているこの身のまま悟りを開くということであり、「現世利益」とは悟りの成果を、現実世界でよりよく生きるために活用するということです。

仏教では、現実世界と悟りの世界を両岸に喩えます。
現実世界から見ると、悟りの世界は川の向こう岸、つまり彼岸にあたります。

そして、悟りを求める修行者の姿を菩薩とよび、彼岸に行くことを往生(おうじょう)といいます。
けれども、仏教の教えでは、悟りを開いてもそれでお終いではないのです。

行ったら、帰ってくるのです。
まだ悟りの境地に気がついていない人たちと、悟りの成果を分かち合うために。

この身のまま悟りを開くということは、悟りを開いたのちも、この身を抱えて現実世界を生きていくということなのです。
そのようにして帰って来る姿を如来(悟りを開いて、かくの如く来たりし者)とよび、現実世界に帰ってくることを還生(げんじょう)といいます。

往生と還生2

このように言うと、「いや、私は悟りを開いていないから、そういうことは自分にはまだまだ……」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、ここからが少し不思議というか、面白いというか、奥が深い話になるのですが、悟りを開いた人たちは共通して、こんなことを言うのです。
──「悟りを開いている人」と「開いていない人」、「悟りを開いている状態」と「開いていない状態」のあいだに区別はない。
そして、時は「いま」しかない。

……、まぁ、そのあたりのことについても、おいおいお伝えができたらと思うのですが、もし本当にそうだとしたら、私たちはいつの日か悟りを開いて、それからみんなのために何かをするというわけではない、ということになります。

般若心経の有名な一節に「色即是空」、つまり現実世界の諸々のことはすべて空(くう)であると示されています。
これは悟りを求める上での指針だと言えます。

けれども、そのすぐ後に、「空即是色」と続くのです。
つまり、悟りの世界である空が、そのままこの現実世界として表現されている、とも示されているのです。

このふたつはセットなのです。

私たちは悟りを目ざして修行をする菩薩であり、それと同時に悟りの成果をこの世にもたらす如来でもあるのです。
そして、いつの日にか悟るのではなく、いまこの瞬間の自分自身のあり方において、究極の真実を求めると同時に、精いっぱい生きて歓びを味わい、表現する
──これが、私が密教から学んだことです。

そして、それが冒頭に申し上げたふたつのサポートにつながるわけですが、具体的なことはつぎの記事でご案内をしますね。