注目すべき人々

たいていの分野については、その人となりではなく、成し遂げた業績によって評価されるべきでしょう。
けれども<芸術家>と<意識の探究家>だけは、その人の生き方が問われるのです。
人の生き方に影響を与えないのであれば、芸術も意識の探求も意味がないから。
だから、覚醒云々もさることながら、どれくらいカッコよく輝いた人生を送るかということもけっこう大切なことではないか──もちろん、それは個人的な好みの問題ではありますが、ぼく自身はそのように考えています。
このコーナーでは、「意識」というテーマに関係して、内的な境地だけでなく、じっさいの生きざままで含めて‘注目すべき人々’をご紹介したいと思います。

<このページでご紹介している人物>

グルジェフ,ゲオルギイ・イヴァノヴィチ / 一休宗純

 

一休宗純

一休

‘一休さん’は、日本で一番有名なお坊さんかもしれませんね。

ぼくたちの世代くらいだとTVアニメ等の影響で、トンチの得意なお茶目な小坊主さんのイメージが強いかもしれません。
でも、じっさいにはそんなに可愛らしい話ばかりでもなかったようです。

たとえば、ある寺に地蔵菩薩の開眼供養の導師として招かれた際には、件の地蔵と供物に放尿をして帰ってしまったとか。
あるいは、三条河原にたむろする卑賤の女との間に子どもをもうけて寵愛していたけれど、そこに執着が生まれそうになると気が狂ったフリをして逃げ出したり。

もしかしたら、気が狂った‘フリ’というのはピッタリの言い方ではないかもしれません。
「狂う」ということこそ、一休の生き方であったとさえ言えます。
じっさいに、彼の残した句集は『狂雲集』と名づけられています。

「狂う」というと何やらよくないことのように思われるかもしれません。
でも、漢字の意味を見ると、「狂」とは「正常の域を外れる」という意味の文字だとされます。
つまり、みんなが「正常」と思い込んでいることをひっくり返す──それが一休の生き方だったのではないでしょうか。

漢文学者の白川静さんは、「狂」という文字に触れて、そこから権威を否定する精神と誠実さを見てとることができると言っています。
まっすぐ正直に生きる誠実さと、何かを守ろうとはしない放棄の誠実さを。

「風狂」は禅における悟りの境地を示す単語のひとつでもあります。

ただ一休については、おそらくは後小松天皇の落胤だったというのが定説となっています。
しばしば宮中に出入りをして、世継ぎ問題に関するアドバイスまでしていたとも言われます。
一休といえば大徳寺ですが、これも運営が傾いていたところを、天皇からの立て直し依頼に応じて引き受けたものでした。

つまり、裏を返していうなら、一休の傍若無人はその後ろに天皇がいたからこそ許されたということは否定できないでしょう。
まぁ、ヨーロッパでは王(=権威)と道化(=トリックスター)はセットとされるので、その日本版と言えなくもありませんが……。

思い返すに、仏教という教えじたい、そもそも釈迦が王である実家を飛び出したところからはじまったわけです。

王とは、「権力」ではなく「権威」の象徴です。
いまの天皇もそうだし、昔から世界中の王がそうだったけれど、王とは権力があってもなくてもその国でもっとも尊重されるべき人でした。

権威は国だけでなく、人の心の中にもあります。
正しいこと、よい人であること、よろこび、愛、お金、健康……。
そういうことを、人は尊重しています。
つまり、その人にとってはそれが権威なのです。

でも、あえてそこを飛び出す。
それが「狂う」ということです。
「狂」という字を、りっしん偏に「王」と書くのもまたおもしろい偶然です。

そういえば、アメリカに渡ってヒーローとなった、チベット仏教の導師チョギャム・トゥルンパも「狂気の智慧(”crazy wisdom)」ということを言い、後半生はアルコール中毒やセックス・スキャンダルのなかで生を送りました。

Trungpa

一休もトゥルンパも最終境地を体得していたかどうかは、ちょっと疑問があります。
でも、いずれも釈迦の正当な後継者と言ってよいのではないでしょうか。

少なくとも、ぼくは大好きです。

 

       ◇       ◇       ◇ 

 

グルジェフ,ゲオルギイ・イヴァノヴィチ

gurdjeff

さて、トップバッターとして取り上げるのはこの人。

古来からの叡智を別にして、現代人が意識の探求をするということについて、元祖にあたる人物だと言っていいでしょう。

この手の人物にとって珍しいことではないのですが、その生涯はすべてが明らかになっているわけではありません。
パスポート上の生年月日は1877年12月28日となっていますが、他にも複数の説があるようです。

ちなみに、ジークムント・フロイトは1856年生まれ、カール・グスタフ・ユングは1875年生まれです。
グルジェフの人間心理に関する考察は非常に説得力が高いのですが、もしかしたら同時代の心理学者たちから何かしらの影響を受けていた可能性もあります。

さらに言うなら、アインシュタインが1879年生まれ、ストラヴィンスキーが1882年生まれであり、「現代科学」とか「現代芸術」と呼ばれる意識革命の旗手たちは大体のところこの時期に生を受けているみたいです。

ちなみに、生まれたのは現在のアルメニア。
人種と宗教のるつぼとして昔から紛争の多い、複雑な地域です。
ユダヤ人の故郷もこのあたりという説もあり、ノアの箱舟が漂着したとされるアララト山の一方の麓にあたります。

時代のせいもあり、そして地域性のせいもあり、少年期より心霊治療や降霊会のような場を経験することも多く、しばしば超常現象のようなものを目にしていたようです。
また、若いころから催眠術をマスターし、それが後々、人の意識を変える理論とワークの基礎になったものと思われます。

これまた意識の探求家たちに少なからず共通する点として、彼もまた多分に胡散臭いところのある人物で、若い時期にはエジプトのピラミッドの案内人をしたり、ロシア秘密警察の諜報部員としてチベットに潜入してダライラマのボディガードをしたという記録もあるようです。

グルジェフの前半生については、彼自身の手記『注目すべき人々との出会い』が残されています。
ちなみに、このWEBのコーナー名である「注目すべき人々」というのは、そのタイトルから一部を拝借したものです。

まぁ、自伝というのは多分に脚色や美化、隠蔽が入って必ずしもすべてを真に受けてはいけないかもしれませんが。
後半生まで含めて、ある程度客観的な立場から読むことのできる日本語文献としては、コリン・ウィルソンの『覚醒への戦い』があります。

グルジェフの教えについては直接指導を原則としており、その指導を受けた高弟ですら「不可知」と語っているようですが、弟子のひとりピョートル・ウスペンスキーが彼自身のノートをまとめた『奇蹟を求めて』が有名です。

ouspensky_1930

そのはじめのほうに、ウスペンスキーがグルジェフと出会ったはじめの頃、グルジェフがしたふたつの話に感銘を受けたということが書かれています。
ある意味で、それがグルジェフの教えの要点でもあるので、ここでもかんたんに紹介をすると──。

ひとつは、ほとんどの人間は環境に反応するだけの機械に過ぎないということ。
もうひとつは、人が<私>と思っているのは決して固定的なものではなく、つねにいくつもある不安定な<私>が入れ替わり立ち替わりしているだけだということ。

これは、ぼくが<意識のめざめ>プログラムでお伝えしている一番の基本でもあります。

グルジェフはそのために、たとえば弟子たちに儀式やムーブメンツとか神聖舞踏というボディワークをさせたりしました。
つまり、すべての動きを意識的にすることで、環境に反応するだけの機械であることをやめる練習です。
このあたりは、ヴィパッサナという瞑想法と同じと言っていいかもしれません。

あるいは、慰労困憊になるまで重労働をさせる。
つまり、余計なことを考える気力がなくなるところまで自分を追い込むことによって、<私>が入れ替わり立ち替わりすることを諦めさせる……。
このあたりは、伝統的な苦行と同じ原理といってよいでしょう。

グルジェフは晩年、生涯の分岐点ともなる大きな交通事故を起こすのですが、彼自身がある時期常に疲労困憊だったという証言があり、もしかしたらグルジェフは自分自身のことも追い込んでいたのかもしれません。

ご参考のために言っておくと、グルジェフは「エネルギーの貯蔵庫」にアクセスする方法を知っており、たくさんの人をヒーリングしていたという記録も残っているから、もしそうしたければ、自身の疲労を回復することもできたはずなのですが……。

ウスペンスキーは、やがてグルジェフのもとを去っていきます。

お互いの真意は分かりません。
でも、ウスペンスキーはどちらかというとまじめな学者さんタイプ。
グルジェフはワイルドなトリックスターだったから、ウマが合わなかったとしても無理はなさそうです。

ちなみに、グルジェフはウスペンスキーのことを「いっしょにウォッカを飲むにはいい男だが、しかし弱い男だ」と評したようです。

人生の極限を求める人が、しばしばそのまま自分自身を極限の彼方へ放り投げるようにして人生を終えていく……、そのため晩年はさびしい終わり方をするケースも少なくないのですが、グルジェフもまたそのひとりだったかもしれません。

一部では強い関心を集めながらも、多くの弟子が彼のもとを去るか、あるいは彼自身が追い払うかして、最後まで残ったのはJ.G.ベネットだけでした。
ベネットもグルジェフの優秀な弟子としてすぐれたテキストを書いているのですが、残念ながら、今のところ日本語で読めるものはないようです。

けっきょく、ひとりさびしくアメリカの病院で息を引き取ったのですが、死後4時間たっても額が温かいままだったとか、検死を行ったところ、彼の内臓はすでに壊変、腐敗しており、もう何年も前に死んでいたはずの状態だった、とも言われています。

 

オンラインレッスン=グルジェフ入門
心理占星術研究会の主催で、オンラインレッスンを開催しました。
パソコンがあればどこからでも受講できます。
本放送は終了しましたが、希望者が何人かいれば再放送をしていただけるとのことです。
よかったら、リクエストをしてください!

⇒ くわしいご案内は、コチラ をご覧ください。