前回の記事では、なぜ私が ・<悟り>や<覚醒>のためのサポート ・あなたが望む現実を創造するためのサポート という、一見 正反対にも見えるふたつの分野のサービスを提供しているのか、ということについてお話をしました。 もし、前回の記事をお読みになっていないようであれば、今回の記事とあわせてお読みいただけると幸いです。⇒ 『<行き>と<帰り>』 |
<悟り>や<覚醒>というのは、言葉で説明することがむずかしい境地ですが、仏教では「八正道(または、八聖道=はっしょうどう)」というプログラムが伝えられています。
要するに悟りに至る8項目なのですが、すごくすごく端折ってご紹介すると、一番はじめに示されているのが「正見(しょうけん)」、そして一番最後に示されているのが「正定(しょうじょう)」です。
正見とは「正しいものの見方」、正定とは「正しい意識の状態」を言います。
正見=「正しいものの見方」とは「一切皆空」──要するにすべては<空(くう)>であるというものの見方をマスターするということです。
<空>は言葉では説明できないとされていますが、最近では欧米を中心として<非二元(ノンデュアリティ)>という観点から、これを説く先生も多いようです。
以下の動画で、このあたりのことについて松田流にお話をしてみました。
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『空・非二元・悟り──<私>はいないとはどういうことか』
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また、現代の科学や哲学の知見にもとづいて、純粋に私たちの意識や感覚のしくみを確かめてみるというアプローチから、このテーマを扱ったワークショップも動画にしています。
禅問答のような深淵だけど非論理的な話は抜きにして、ごく普通の人がごく普通に自分自身を振り返ることによって、自然に<空>とか<非二元(ノンデュアリティ)>につながっていく……、そんな試みです。
ご関心をいただけるようであれば一度ご覧になってみてください。
『<私>と<宇宙>のクエスト』(1)神はコンビニの前で不快感を感じるか?
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正見=「正しいものの見方」については、とりあえずある程度のところまでは、それを知的に理解することもできます。
そしてそれを知るだけで、人生はとても楽になります。
嫌なこと、不愉快なこと、苦しいこと……、これらすべては「ほんとうのことではない」ということが解るようになるから。
ちなみに、<非二元(ノンデュアリティ)>を説く先生の多くは、それ以上の話はあまりしていないようです。
なぜならすべてが<空>であるなら、「悟っていない‘あなた’はいないし、‘悟る’ということもない」から。
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けれども仏教では、この点で多くの<非二元(ノンデュアリティ)>の先生とは異なる立場を取ります。
「正しいものの見方」は正定=「正しい意識の状態」へとつながるべきであり、また「正しい意識の状態」をマスターしなければ、本当の意味で「正しいものの見方」ができるようにはならない、と。
やっぱり頭で<空>や<非二元(ノンデュアリティ)>を理解しているつもりの状態と、じっさいにそのように意識できる状態とは同じではないのです。
私自身は、17歳で高野山に入り、18歳のときには頭では<空>を理解していました。けれども、それに対応する意識の状態を経験したのは、それからおよそ30年後のことでした。
逆に、ちょっとしたきっかけで純粋な意識の状態を経験する人もちょくちょくいます。
けれども、その人が<空>を理解するに至らなければ、おそらくその状態は一時的なものに終わるでしょう。
こちらについても、私自身が純粋な意識の状態を何度も経験していながら、はじめはそれが<空>と結びついていなかったために、自分が経験していることの意味や価値が理解できていないまま、いつの間にかまた環境に影響を受けてしまう状態に後戻りをしてしまい、ある程度その状態が定着をするのに、そこからさらに数年を要しました。
<非二元(ノンデュアリティ)>のクラスでは、よく「一瞥体験」といいますが、『ヨーガスートラ』をはじめとするインドの伝統では、一瞥体験と定着をした境地とをはっきりと分けているのです。
正直に言うなら、文献を読むかぎり、私自身もまだまだ道の半ばではありますが……。
正見=「正しいものの見方」と正定=「正しい意識の状態」とが安定的に結びついた状態になったとき、それを<悟り>と呼んでいいのではないか、と私は思っています。
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正定=「正しい意識の状態」をマスターするための代表的なトレーニングが瞑想です。
私が思うに、瞑想にはふたつの利点があります。
ひとつは、自己浄化。
もうひとつは、意識の使い方のトレーニング。
このふたつが相まって、「正しい意識の状態」が育まれていきます。
特定の考えや感情に捉われているかぎり、「正しいものの見方」や「正しい意識の状態」をマスターすることはむずかしいです。
だから、特定の考えや感情にしがみついている心の働きから自由になる必要があります。
そのための作業が自己浄化です。
自己浄化はその方の個性や生き方と関わることなので、一般論では何とも言えないのですが、先に端折った八正道のまんなかの6つはそのためのメソッドでもあります。
ただし、ひとつ申し上げるなら、「自分」のことについて自分自身でアプローチすることはむずかしいものです。
人は、自分で直接に自分の姿を見ることはできないし、自分で自分のことを持ち上げることもできません。
もしよろしければ、カウンセリングやエネルギーワーク、ヒーリングという形で、個別サポートをさせていただきます。
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瞑想のもうひとつの利点=意識の使い方のトレーニングは技術的なものです。
誰でも適切な方法にしたがえば、一定の技術をマスターすることができます。
私のところでは、下記のプログラムにてご指導をしていますので、よかったらトレーニングにおいでください。
<意識のめざめ>プログラム
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ただ黙って瞑想していればそのうち何かが起こる、というよりはもう少し簡単に、そして短時間でマスターできる方法をお教えしています。
コツをつかむだけなら、数時間から数日で体得していただけるはずです。