<行き>と<帰り>

<意識デザイン>では、大きく言ってふたつの分野のサービスをご提供しています。

ひとつは、<悟り>や<覚醒>のためのサポート
もうひとつは、あなたが望む現実を創造するためのサポート

 

一見、このふたつは相異なる(場合によると正反対)の志向であるかのように思われるかもしれません。

私は、真言密教の探求から道の歩みを始めた人間です。
真言密教では、「即身成仏」とか「現世利益(りやく)」ということを言います。

「即身成仏」とは、毎日の生活をしているこの身のまま悟りを開くということであり、「現世利益」とは悟りの成果を、現実世界でよりよく生きるために活用するということです。

仏教では、現実世界と悟りの世界を両岸に喩えます。
現実世界から見ると、悟りの世界は川の向こう岸、つまり彼岸にあたります。

そして、悟りを求める修行者の姿を菩薩とよび、彼岸に行くことを往生(おうじょう)といいます。
けれども、仏教の教えでは、悟りを開いてもそれでお終いではないのです。

行ったら、帰ってくるのです。
まだ悟りの境地に気がついていない人たちと、悟りの成果を分かち合うために。

この身のまま悟りを開くということは、悟りを開いたのちも、この身を抱えて現実世界を生きていくということなのです。
そのようにして帰って来る姿を如来(悟りを開いて、かくの如く来たりし者)とよび、現実世界に帰ってくることを還生(げんじょう)といいます。

往生と還生2

このように言うと、「いや、私は悟りを開いていないから、そういうことは自分にはまだまだ……」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、ここからが少し不思議というか、面白いというか、奥が深い話になるのですが、悟りを開いた人たちは共通して、こんなことを言うのです。
──「悟りを開いている人」と「開いていない人」、「悟りを開いている状態」と「開いていない状態」のあいだに区別はない。
そして、時は「いま」しかない。

……、まぁ、そのあたりのことについても、おいおいお伝えができたらと思うのですが、もし本当にそうだとしたら、私たちはいつの日か悟りを開いて、それからみんなのために何かをするというわけではない、ということになります。

般若心経の有名な一節に「色即是空」、つまり現実世界の諸々のことはすべて空(くう)であると示されています。
これは悟りを求める上での指針だと言えます。

けれども、そのすぐ後に、「空即是色」と続くのです。
つまり、悟りの世界である空が、そのままこの現実世界として表現されている、とも示されているのです。

このふたつはセットなのです。

私たちは悟りを目ざして修行をする菩薩であり、それと同時に悟りの成果をこの世にもたらす如来でもあるのです。
そして、いつの日にか悟るのではなく、いまこの瞬間の自分自身のあり方において、究極の真実を求めると同時に、精いっぱい生きて歓びを味わい、表現する
──これが、私が密教から学んだことです。

そして、それが冒頭に申し上げたふたつのサポートにつながるわけですが、具体的なことはつぎの記事でご案内をしますね。

<行き>と<帰り>」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です